「目を覚まそうよ」と訴えかける、魂のギターと歌声
(2004年06月)





鋭く激しいギター、魂を揺さぶる歌声・・・。30年の時を隔てて聴いた、生の「別れのサンバ」だった。長谷川きよしそのものが全身全霊を込めて、こちらのハートに迫って来る。それは、まるでジャックナイフを突きつけられたような、そんな感覚だった。


学生時代、きよしさんのコンサートに行った。大きなホールがいっぱいだった。盲目の実力派歌手。みんながきよしさんを温かく包んでいた。そして、手が痛くなるくらい拍手をしていた。それから、ふと気がついてみたら、「長谷川きよし」の名前は、メディアに登場しなくなっていた。
そして、あまりにも唐突に「長谷川きよし」という活字が飛び込んで来た。いわきでコンサートを開くのだという。きよしさんは、この30年間、どんな日々を過ごし、どんなことを思って過ごしてきたんだろう - 。どうしても会って、それを聞きたいと思った。


音楽の世界は、はやりすたりがある。だから、時代時代に合っているものが脚光を浴びる。それは仕方ないが、どうもシステムがおかしい。売ることを優先し、売れるものを生み出すことしか考えていない。信じるものを大切にやっている人たちが表舞台に出にくい。業界がいいものを生み出す、育てる、という意識がない -。
そう思ったきよしさんは、地方へ飛び出した。自分の歌を聴いてくれる人たちを大事にし、「長谷川きよしの歌が聴きたい」という人がいれば、どこへでも出かけた。ライブハウスを中心に、それこそ体を張って歌い続けた。そして、「地方の方が元気だ。みんな生き生きしている。コンサートは、一つの目的に向かって一緒に時間を過ごすので、それがエネルギーになる」と、充実感を味わうようになった。


1949年生まれ。団塊の世代の人。今、これほどまでに闘わなければならない世界を憂い、危うい社会を「何かをしなければ」と思い始めている。無関心でいられなくなった自分を強く感じ、この思いを、何らかのかたちで表現したい、と言う。
そうしているうちに、自分と同じように子育てを終えた同世代の人たちが、コンサートに戻って来るようになった。そしてつぶやく。「きよしさん、何してたの。そういえば、おれって、この30年間何やってたんだろう」。
しなやかで衝撃的な「別れのサンバ」。そこには「そろそろ目を覚まそうか」という無言のメッセージが込められている。






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巨浪一點
(きょろういってん)

長谷川きよしさんのこと
直接伝えることの大切さを教わった



「DUO」で紹介した長谷川きよしさんは、二歳のときに失明した。以来、暗闇の世界で生きている。本人によると、「オレンジの記憶というかイメージがかすかに残っているだけで、光の世界はわからない」のだという。
長谷川さんと奥さんの恵美子さんと会って話をし、一緒に食事をした。最初のうちは、目が見えないことに対する配慮、を意識していた。そのうちに、そうした思いはさっと消え去った。それは長谷川さんのこんな言葉がきっかけだった。
「確かに風景は見えない。でも、みんなが『きれいだね』と嬉しそうに話をしているのを聴いて、『みんな喜んでいる。よかった』って思う。だから自分も気分がいい」
長谷川さんは光を失った分、聴覚や味覚、嗅覚など、ほかの感覚が鋭い。目が見えるとその分感覚が散漫になるが、長谷川さんの場合、目以外の感覚に精神が集中するのだろう。しかも、まわりの人間に、「目が見えない」ということを必要以上に気を遣わせない。そんな長谷川さんの大きさや精神の柔軟性が、「必要以上の配慮」というものを、ちっぽけなものにしてしまった。
長谷川さんは、おおらかに語った。離婚、再婚、そして大学生になったひとり娘の将来・・・。
地方に出ると、「そこでしか食べられないもの」にこだわり、地方にいる人たちの情熱にふれ、自分の道を確かめる。そして自身も、群馬県で一番小さなまち・新町に住む。本物とは何かを知り、自らも本物になるために飽くなき努力をし、妥協しなかったからこそ、いつまでも「長谷川きよし」であり続けられるのだろう。しかも、ときの流れが、まとわりついて離れなかったプライドを洗い流してくれた。だから、今の長谷川きよしは、重くて渋い輝きを放っている。


必要以上の配慮は、本音を排除し、本質を覆い被せてしまう。だから直接伝える。そうすれば熱が起き、力がわいてくる。長谷川さんは、出会いとステージを通してそれをさりげなく教えてくれた。


安竜昌弘


IWAKI BIWEEKLY REVIEW 日々の新聞第32号、およびHibi No Shimbun DUO 第10号より
(共に2004年6月30日発行)